2012年3月31日土曜日

絵合:引退の準備をする光源氏

絵合の帖で、光源氏は、自分が若くして位を極めてしまったことについて、こうした人は長生きしない、と昔からいわれていることを気にして、引退を意識する。

そして、山里ののどかな場所に、御堂をたて、仏像や教典を準備する。

結局は、すぐに引退することはできないのだが、31才にしてすでに引退を意識する、というところは、光源氏の人間性をよく表している。

絵合:日本人は合戦好き

絵合の帖では、冷泉帝の前で、光源氏側の梅壷女御と、頭中将側の弘徽殿女御が、それぞれ持ち寄った絵について、どちらが素晴らしいかという合戦、絵合を行う。

結果は、いうまでもなく光源氏の勝ちになるのだが、それにしても、日本人は昔から、こうした対抗戦形式の合戦が好きだった。

その最たるものが紅白歌合戦。似たバリエーションは、テレビ上に溢れている。柔道もプロレスも、対抗戦がある。

絵合:「あはれ」とは何か

「あはれ」という言葉は、源氏物語の中で何度も登場する。この言葉を一言で表現するのは難しい。一言で表現できない場合に、この「あはれ」が使われている。

絵合の帖で、前斎宮が冷泉帝に輿入れする。前斎宮を愛していた朱雀帝は、悲しみに暮れながらも、心のこもった品々を贈る。前斎宮は、そうした品々を目の前にし、朱雀帝の心を思い、「あはれ」という。

その時の前斎宮の気持ちを表そうとすれば、実にいろいろな言葉で、長い文書を使って表現することができるだろう。

しかし、源氏物語においては、そうした気持ちを「あはれ」と一言で表現している。

2012年3月24日土曜日

関谷:物悲しい秋の象徴としての空蝉

光源氏と空蝉が、逢坂の関で再会するのは秋。秋といえば、なんとも言えない物悲しさを感じる。

空蝉は、光源氏から身を引いた後は、それでも常に光源氏のことが忘れられずに、それこそ、まるで蝉の抜け殻のようになってしまう。

そして、夫の死後、後妻である自分の立場の弱さもあり、やがて出家する。

空蝉は、この帖では、まるで秋の物悲しさを象徴するような存在として描かれている。

日本人は、この世の人間の営みを、季節の中に置くことで、その意味を解釈してきたのだ。

関谷:空蝉の悲しい結末

光源氏と一度は関係を持ちながら、身分の違いを感じて、自ら身を引いた空蝉。その空蝉が、逢坂の関で光源氏と再会する。すでに10年以上の月日が流れていた。

空蝉は、その後、夫が亡くなり、その継子から求婚されるが、それを受け入れずに出家してしまう。

空蝉は、一度は身を引いたものの、結局は光源氏のことが、終世忘れることはできなかった。

逢坂の関で、光源氏と再会した際に空蝉が呼んだ歌に、彼女の思いがよく現れている。

行くと来とせきとめがたき涙をや絶えぬ清水と人は見るらむ

蓬生:当時の京都には狐も住んでいた

およそ1000年前の京都は、国の都とはいえ、まだまだ緑に囲まれ、自然が多く残っていた。

蓬生の中にも、末摘花の荒れ果てた住まいを記述した部分は、このようになっている。

もとより荒れたりし宮のうち、いとど、狐のすみかになりて、うとましう、け遠き木立に、梟(フクロウ)の声を、朝夕に耳ならしつつ・・・

いわゆる住宅地の中にも、手入れが行き届いていない場所には、キツネやフクロウが住んでいたのだ。

蓬生:短編小説としても読める美しい小品

蓬生は、源氏物語の本筋とは外れ、末摘花を巡るエピソードだけで構成されている。この帖だけを単独の短編小説としても読める。

冒頭では、末摘花の住む家の荒れ果てた様子が描写される。父親が亡くなり、保護する人もいないので、家は荒れるばかりで、盗人も避けるような、凄まじい状況。

見かねた叔母が、自分がこれから転居する筑紫に一緒に行かないかと誘うが、それを断る末摘花。

そして、ついに光源氏が訪れて、これまで訪問しなかったことを詫び、末摘花を絶望のどん底から救い出す。

荒れ果てた末摘花の屋敷の描写。末摘花、光源氏、叔母のそれぞれの心理描写。暗いトーンで始まり、最後はハッピーエンドが訪れるその構成。どれをとっても、見事の一言。

蓬生:最後に笑った末摘花

末摘花の帖で、鼻が大きく、教養にもかける女性として描かれた末摘花が、この帖では、その一途な思いが光源氏に通じて、ついに幸運を手にする。

父を失い、他に後ろ盾もなかった末摘花。光源氏も訪れず、屋敷は荒れる一方。筑紫に引っ越す叔母が、彼女をいっしょに行かないかと誘うが、頑として断り、ひたすら光源氏を待ち続けた。

明石から戻った光源氏が、偶然近くを通りかかり、末摘花を思い出す。光源氏はそのことを詫び、彼女を自分の屋敷に引き取り、その後は、丁重に扱うことになる。

光源氏が再訪した際に、読み交わした歌。

(光源氏)藤波のうち過ぎがたく見えつるはまつこそ宿のしるしなりけり

(末摘花)年を経て待つしるしなき我が宿を花のたよりに過ぎぬばかりか

末摘花は、かつては、その場に応じた歌も返せないほどだったが、その厳しい状況を絶え続けたことによって、いつのまにか、その教養も自然と磨かれていたようだ。

2012年3月20日火曜日

澪標:象徴的な六条御息所の死

光源氏にとって、いいことずくめの澪標の帖だが、唯一の暗い出来事が、六条御息所の死だ。

光源氏にとって、最も古くから関係のある女性の一人で、正妻になってもおかしくなかった女性。その一方で、その生霊が、夕顔、葵の上を死に追いやってしまった。

藤壷はすでに出家し、光源氏との関係はなくなっていた。彼女の死によって、光源氏には年上の恋人はいなくなった。

六条御息所の死は、源氏物語全体の中で、光源氏のいわば青年時代の終わり、社会的にも世の中を動かしていく、壮年時代への変化の象徴になっている。

澪標:保護者としての光源氏

光源氏も、この帖では29才。数えで30才は、論語でいう而立の年。すでに、恋のみに生きる男ではなくなっていた。この帖では、保護者としての光源氏が描かれる。

政治家としては、息子の冷泉帝を補佐する形で内大臣に就任。

明石の地で結ばれ、光源氏の娘を産んだ明石の君を、正妻の紫の上に承諾させた上で自宅に迎える。

伊勢から都に戻った六条御息所が亡くなる際の遺言により、その娘の前斎宮の保護者となる。

さらに、かねてより関係のあった花散里も保護する準備を整えていく。

澪標:光源氏の復活

葵の上の死後、徐々に落ち目になっていった光源氏。この澪標の帖で、一気に復活する。

朱雀帝に許され、都に復帰すると、朱雀帝は健康を理由に退位する。変わりに光源氏と藤壷の不義の子、冷泉帝が即位。光源氏は摂政を辞退し、内大臣になる。

その復活のきっかけをもたらしてくれた、住吉大社への参拝には、大行列で臨み、その権力の大きさを世間に誇示する。

明石:都へ戻る光源氏の心情

源氏物語には、実に多くの和歌が歌われている。中には、現代の私たちにはわかりにくい、あるいは難しい歌もある。

しかし、ついに朱雀帝から許しを得て、都に帰る心情を歌った光源氏の次の和歌は、その歌も、歌に歌われている心情もよくわかる。

みやこ出でし春の嘆きに劣らめや年経る浦を別れぬる秋

明石:人間の業を越えた意思

須磨で寂しく過ごす光源氏の前に、亡き桐壺帝の霊が現れて、光源氏の都への帰還が近いことを告げる。

桐壺帝の霊は、朱雀帝の前にも現れそれを促す。朱雀帝は、光源氏の帰郷を許し気持ちになるが、母の弘徽殿大后がそれを許さない。

しかし、都には嵐が吹き荒れ、朱雀帝は目の病いになり(世の中が見えていないということか?)、弘徽殿大后も病にかかり、ついに朱雀帝は、光源氏の帰京を許す。

人間の業を越えたものがこの世には存在し、人間はそうした声に耳を傾けなければならない。この時代の人間にとっては、それは当然のことだった。

現代の私たちは、つい最近になって、ようやくそのことに気がついた、あるいは思い出したようだ。

明石:明石入道の存在感

須磨までは、いわゆる畿内の地なので、都の行政区内にあたる。そのすぐ隣の明石からは、播磨国となり、いわゆる地方の行政区になる。

その明石で地方の有力者だったのが、明石入道。住吉の神を深く敬っているということから、瀬戸内海の海洋貿易で富を得たのだろう。

須磨の光源氏の住まいが、みすぼらしいものだったのに比べ、明石入道の屋敷は非常に立派に描かれている。

そして、明石入道は娘を光源氏に嫁がせる。親の英才教育のせいもあり、この明石の君は、つつましくも教養に溢れた女性であった。光源氏は、須磨の地でもんもんとしていたせいもあり、この姫にイチコロになる。

しかし、それにしても、わたしはこの明石入道が、どうしても平清盛と重なってしまう・・・。

2012年3月19日月曜日

須磨:海竜王にも好かれる光源氏

須磨において、人のすすめもあり、陰陽師に頼んで海辺で禊を行ったところ、急に海が荒れ始め、暴風雨となってしまう。

光源氏は、その日見た夢から、海竜王に好かれてしまったのではないか、と考える。

そうとも受取れるが、光源氏は多くの女性を泣かせているので、その身を浄めるには、海竜王の力を借りる必要があった、とも解釈できる。

須磨:数多くの和歌が紹介される

源氏物語は、歌物語と言われるが、この須磨の帖では、じつに多くの和歌が紹介される。

右大臣派から避難された光源氏が、都からはなれた須磨に移るために、出発の前に多くの人を訪ね、移ってからも手紙などのやりとりがあるため、そうした際に、歌が詠まれるということになる。

葵の上の死を招き、自ら伊勢に去ってしまった六条御息所とさえも、和歌のやり取りをしている。

花散里:光源氏を振った女

短いこの帖には、光源氏を振ってしまう一人の女性が登場する。

光源氏が花散里を訪れる途中、中川というところで、昔訪ねた家を見つけ、昔の女性に和歌を送るが、返事はそっけない。

葵の上、桐壺帝の死などで落ち込んでいる光源氏にとっては、さらなる追い打ちをうける悲しい出来事だが、それが、続く花散里との出会いを、より一層、癒しに満ちたものにもしている。

花散里:もっとも短い帖

源氏物語の中でも最も短い花散里の帖。しかも、5月の五月雨が開けたあるたった一日の様子を描いている。

かつての恋人、花散里のもとを訪ね、いろいろと憂鬱な事柄が続き、落ち込み気味だった光源氏が、桐壺帝ありし日を懐かしむという設定になっている。

橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ(光源氏)

人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ(麗景殿女御)

この2つの和歌によって、短いながら、わすれられない印象を残す帖となっている。

賢木:当時の中国文化の影響

賢木の帖には、藤壷が出家する際に登場する、仏教の行事である法華八講、光源氏が開催する漢詩の催しの韻塞ぎ(漢詩の韻の部分を当てる遊び)など、中国の影響が濃い文化的な側面が登場する。

源氏物語の時代は、和歌や仮名言葉に代表されるいわゆる国風の時代といわれるが、やはり中国文化の影響は、大きかったようだ。

また、この帖に登場する横川の僧都は、様々な地獄を描いた『往生要集』の作者、源信がモデルであるといわれている。

すでに、この時代にも、末法思想の片鱗が現れていた、ということだろうか。

賢木:桐壺帝の死を引き起こしたもの

光源氏が、伊勢に向かう六条御息所と逢瀬を重ねていることと前後し、桐壺帝が突然の病いでこの世を去ってしまう。

光源氏は、伊勢神宮に斎院として向かう人がお祓いのために暮らす野宮を訪ね六条御息所に合う。しかも、その六条御息所は光源氏の正室、葵の上を呪い殺した張本人なのだ。

桐壺帝の死は、そうした光源氏の振る舞いの結果、もたらしたものなのだろうか。

しかし、当時は現在のような道徳概念はなかったのかもしれない。光源氏は、独立した個人というよりも、その時その時の状況に応じて、自分に与えられた役回りを、ただただ演じているだけなのかもしれない。

賢木:泣き虫の光源氏

葵の帖においては、葵の上の死を中心に全体的に暗いトーンだったが、続くこの賢木の帖においても、その暗いトーンが続いている。

六条御息所の伊勢への旅立ち、桐壺帝の死、そして光源氏の憧れの存在、桐壺帝の側室だった藤壷の出家と、光源氏にとって悲しい事件が続く。

光源氏は、そうした悲しい自体に直面し、よく涙を流す。この時代の男性はよく泣いたのだろう。悲しい時には、涙を流すのが本来は自然なことなのだ。

2012年3月18日日曜日

葵:葵の上の死

源氏物語の中でも、もっとも不幸な女性の一人として描かれているのが、光源氏の正妻である葵の上である。

葵の上は、この帖で、六条御息所の生き霊によって、わずか26才と言う若さで亡くなってしまう。

光源氏は、この葵の上の死をひどく悲しむのだが、喪が明けるとすぐに、誘拐して手に入れ、女としての英才教育を施したわずか14才の紫の上を抱いて、正妻にしてしまう。

この葵の上の存在をどのように考えるのか。この物語の読み方を左右する、大きな分岐点であるように思える。

葵:車争いで争われたもの

葵の帖は、有名な車争いが行われる。

旧暦4月に行われる賀茂祭において、光源氏の正妻と愛人の六条御息所が、祭列の見物場所を巡って争いを起こす。葵の上が場所取りに成功し、六条御息所は場所を奪われ、自らの車も壊されて落ち込んでしまう。

しかし、その恨みは生き霊となって葵の上を襲い、葵の上は光源氏との子、夕霧を産んだ直後に亡くなってしまう。

源氏物語の中でも、もっとも劇的な展開の一つであるこのエピソード。この争いは、正妻と愛人という構図、それに、左大臣の娘である葵の上と、かつて東宮であった夫を亡くし、後ろ盾を失った六条御息所との闘いでもあった。

車争いで敗れた六条御息所は、そのリターンマッチとして、自らが持つスピリチュアルなパワーで、葵の上を呪い殺してしまう。

このエピソードには、当時の社会において、人々の争い事がどのような構図の中で捉えられていたのかを教えてくれる。

2012年3月17日土曜日

花宴:光源氏の自負

光源氏が朧月夜と初めてであったとき、朧月夜は、光源氏と気付かずに、”誰か来てください”、と周囲に助けを求める。その時に、光源氏が言った言葉。

まろは、皆人に、ゆるされたれば、めし寄せたりとも、何條事かあらん。

私は何をすることも許されている、誰を呼んでも、(私に)何もできませんよ。

何とも凄い言葉だ。

花宴:劇的に登場する朧月夜

源氏物語の中で、もっとも劇的に登場するのは、この朧月夜だろう。

皆が寝静まった宮廷の中で、”この美しい朧月夜に比するべきものなどなにもない・・・”と語りながら登場し、光源氏はすぐに心を奪われてしまう。

朧月夜は、光源氏のライバルにあたる右大臣の娘。右大臣が東宮のもとに輿入れさせることがすでに決まっている。実に微妙な立場にある女性。

空蝉と並んで、実に短い帖だが、朧月夜を印象付けるためにあるようだ。

紅葉雅:紫式部による光源氏の心情の表現力

紅葉雅で、最も印象に深いシーンは、光源氏が、藤壷との不義な関係の結果から生まれた子を、桐壺帝が光源氏とよく似ているといって喜ぶ場面だろう。

この時の光源氏の心情を、作者は以下のように表現している。

中将の君(光源氏)、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あわれにも、かたがたうつろう心地して、涙落ちぬべし。

いろいろな感情が光源氏の中で揺れ動く様子が、実に見事に表現されている。

本居宣長は、源氏物語をして、”物のあわれ”が表現されている物語だとしたが、私はそれ以上のものだと思っている。

紅葉雅:源典侍にみる大人の女性の魅力

この紅葉雅でもっとも印象的な人物は、間違いなく源典侍だろう。

典侍とは、天皇の近くで働く上級の女官。彼女は57、58才と言う設定。自ら光源氏を誘うそぶりを見せるなど、大人の女性の魅力を振りまいている。

後半では、光源氏と頭中将のあいだで、滑稽な役回りを演じることになる。

現代においても、こうしたキャラクターの女性は私たちの身近にいる。源典侍の存在は、源氏物語の現代性をよく表している。

紅葉雅:ポリフォニックな展開

光源氏を巡り、登場人物が多いこの物語では、複数のエピソードが交錯して展開され、読者を飽きさせない。この紅葉雅でも、大きく3つのエピソードが展開する。

この紅葉雅の基調になっているのは、光源氏と藤壷の不義の子の誕生のエピソード。桐壺帝はその事実を知らず、無邪気に男子の誕生を喜んでいる。

2つの目のエピソードは、打って変わって明るい内容。50代の女性、源典侍を巡って、光源氏と頭中将がじゃれ合う。

3つ目のエピソードは、光源氏が誘拐した、紫の上との微笑ましいエピソード。

そうした多くのエピソードが重なりあい、この長大な物語を、他の類を見ない、人間の全てが描かれている、ポリフォニックなものにしている。

2012年3月12日月曜日

末摘花:後ろ盾を失った女性の現実

末摘花は、常陸親王という王族の娘だが、父を病いで失い、その後ろ盾を失い、貴族としては貧しい暮らしをしていた。光源氏に近づいたのも、そうした現状を改善するためだった。

光源氏の母も、美しい容姿を持ちながら、これといった後ろ盾がいなかったことで、不幸な結末を迎えた。

また、光源氏が強引に引き取った紫の上も、同じような境遇だった。

源氏物語には、そうした女性達が多く登場する。当時の現実を、反映したものだろう。

末摘花:源氏物語のスケルツォ

末摘花は、源氏物語の中でも、もっともコミカルなものの一つ。いわば、源氏物語のスケルツォだ。

末摘花自体が、センスに欠け、赤い大きな花を持つ容姿から、周りに失笑をさそわせるような存在。

また、この末摘花を巡って、光源氏と頭の中将の間で行われる、獲得までのバトルも笑える。

2012年3月11日日曜日

若紫:藤壷の懐妊と紫の上の登場

藤壷は、天皇の女御でありながら、光源氏と関係を持ってしまい、ついに、後の天皇となる運命の子を身ごもってしまう。

その同じ帖で、光源氏は、藤壷の姪御にあたる幼い紫の上と出会う。

これは、光源氏がいわば、二人の子どもを持ったということを意味する。そして、この二人の子が、光源氏の人生に、大きな意味を与えていく。

若紫:少女趣味の光源氏

光源氏が、のちに生涯の実質的な伴侶となる紫の上との出会いを果たす、全体の物語の中でも大きな意味のあるこの帖は、紫の君が幼いことから、若紫と呼ばれる。

それにしても、紫の上は、この時およそ10才くらい。光源氏は18才くらいと考えられる。愛する藤壷の親類で、顔がそっくりだからとはいえ、その少女趣味は驚かされる。

そして、紫の上の後見人が死を迎えると、別な人間の保護下に入ってしまうことを恐れ、彼女を誘拐し、自分の家に引き取ってしまう。

そして、光源氏は、紫の上を自分の理想の女性に育て上げていく。これは、ある意味では、男という生き物の、理想を描いている。というよりは、それは、女性から見たときの、”男としての理想”なのかもしれない。

夕顔:夕顔の突然の死

夕顔は、光源氏と夜を過ごしている時に、不幸にも突然死してしまう。それは、美しい女性の霊に、呪い殺されたように書かれている。

この時代、人は、意外にあっけなく、なくなってしまったのかもしれない。当時の人々は、その死を、呪いや魔物のせいにしたのだろう。

光源氏は、この夕顔の法要を自ら営む。そして、その夕顔と友人の頭の中将の子を、ひきとろうとするのであった。

夕顔:光源氏の恋の入り方

光源氏は、この帖で夕顔という女性と恋に落ちる。その恋への落ち方が光源氏らしい。彼は、一度も顔を見ることなく、夕顔に恋心を抱く。

ふとした訪問先で、夕顔の花を見つけ、それを持って帰ろうとすると、その家の住人が”これに載せて持って帰ってください”と和歌が書かれ、香が焚かれた扇を渡してくれる。光源氏は、その奥ゆかしさにイチコロになる。

この女性は、このエピソードにちなんで、夕顔と呼ばれる。この女性にイメージ、その後の運命も、その花の名前、この出会いのエピソードに象徴されている。

光源氏も含めて、この物語の全ての主人公は、すべて、何かを象徴している。いわゆる現代で言うところの”個人”ではない。あくまでも、ある役割や性格を与えられた存在なのだ。でも、現代の私たちも、本当に”個人”なのだろうか?

2012年3月4日日曜日

空蝉:軒端荻より空蝉を好む光源氏

空蝉は、あまり美しい女性ではなかった。しかし、その佇まいが、独特な風情と教養を持っていた。

一方の軒端荻は、空蝉より美しくグラマラスだが、あけすけで身持ちも軽い女性だった。

光源氏は、軒端荻ではなく、空蝉の方を好んでいた。空蝉に逃げられ、軒端荻と一夜を過ごすが、その心は空蝉から離れなかった。

空蝉:不自然なほどの短さ

空蝉は、いわば帚木からの続きである。それは、不自然なほど短い。

帚木で、再開を果たせなかった空蝉に、光源氏がもう一度アタックをかけるが、再び空振りに終わる。

帚木が、雨夜の品定めと、空蝉との一夜の恋から構成されている。この帚木を、雨夜の定めだけの編とし、空蝉との逢瀬について、1つの編にまとめてもいいように思える。

帚木:高コンテキスト社会の日本

光源氏と空蝉は、帚木という信濃の国につたわる伝説の木についての歌を交わす。

これは、両者がすでにこの木を歌った有名な歌を知っていたことを意味している。

歌を送る方は、元の歌の意味を良く理解していないと、その場にあった適切な歌を作れないし、送られた方でも、元の歌と、送られて歌の双方を正しく解釈しないと、気のきいた返歌を返すことができない。

日本は、この時代から、高コンテキスト社会であった。そこで語られることは、いわば、すでに決まったこと、演劇の台本を読むように、語られるのだ。

帚木:平安時代の自由な男女関係

光源氏は、左大臣の娘、葵の君と結婚していながら、夫婦仲はよくなかった。

雨夜の品定めの部分では、男たちが、自分の恋愛経験を語る。

そして、光源氏は、人妻の空蝉と一夜を過ごす。

女系社会で、通い婚であった平安時代。男女の関係は、現在よりももっとおおらかだった。

桐壺:周囲の嫉妬と桐壺更衣の死

桐壺帝から破格の愛情を受けた桐壺更衣は、周囲の女御たちから激しい嫉妬に合う。

そのせいもあってか、桐壺更衣は病いになり、やがて幼い光源氏を残し、儚くこの世を去っていく。

桐壺更衣は、周囲の女御たちからの激しいいじめに遭い、大変なストレスを感じていた。それが、やがて若い死をもたらすことになった。

この時代の日本人は、人の思いが、実際の世の中の事象に影響すると考えていた。死んだ人の怨念が、生きている人に災難をもたらす、といった風に。

これは、決して荒唐無稽な話でもない。人の思いは、何らかの表情や態度といった形で表面に現れる。それは、思いの対象である相手に、何らかの心理的な影響を与える。

心の細いひとほど、そうした感情に押しつぶされてしまっただろう。桐壺更衣も、その一人なのかもしれない。

桐壺:物語の始まり

桐壺帝が、桐壺更衣に常ならぬ愛情を注いだことから、この長い物語が始まる。

天皇として、後ろ盾もない、ただ美しいだけの女性に入れこむことは、許されないことだった。

しかし、その許されない行為、常ならぬ行為が、この壮大な物語の始まりだった。